すみれにとっても わたしにとっても 大切な方が 2月20日に急逝しました。
その方の名は 飯野賢治さん。42歳という若さでした。

今日は飯野さんのことを思い出しながら すみれとわたしと飯野さんに関わることを書かせてください。振り返りの思い出の話です。

 

 

「綾子さんがこの旅館をやっていくなら
綾子さんがやりたいと思うことをしたほうがいいです。」

 

そう言ってくれた人が飯野賢治さんでした。

 

その言葉から 現在に至る「時の宿すみれ」の宿作りが始まったんです。

 

前身の旅館をやめてしまおうか。という存続も危うい岐路に立たされた時に「やっぱり旅館をやっていこう」となった訳ですが それは「潰れた」みたいなことを噂される世間体とかそういうことではなく 創業にかかわった祖父母の想いを 断ち切れなかったからでした。でも誰がどのように旅館を立て直していくかは はじめから決まっていたわけではなかったんです。

 

 

当時 わたしは父が癌を患ったことから 東京から米沢に戻ってきていました。二人の息子が一緒でした。父が亡くなってからの3年間は実家のレストランのフロントで受付や会計に関わる仕事をしていましたが 祖父母の後を継いで叔母が経営していた旅館の仕事を手伝うようになり 同時に旅館のこれからを 見つめ直すプロジェクトも兄弟やその会社のメンバーと共に進めていました。

 

旅館をやめるという選択肢がある中 様々な別の業態の案も出されましたが この素晴らしい自然環境で温泉のあるこの場所に祖父母の想い、宝物を見出し、その想いを継ぐべく 旅館を続けていくことに全員が賛成し その事業としての段取りを 進めていくことになったのです。

 

旅館のことを相談させていただいていた 兄弟会社の顧問の先生から 「飯野賢治さん」を紹介していただいたのは そんな時でした。

 

クリエーターの飯野賢治さんは ゲーム作りをする方でもあり 企業デザインや そのサイトのインターフェイスなどを手掛ける 有名な方でした。飯野さんもその顧問の先生からのアドバイスを受けている方だったんです。モノ作りのプロの方にご協力いただけるのならばお願いしよう。ということになりました。

 

 

紹介していただいて すぐに 宿作りのための「考え方」をみんなで教わりました。どのような順番で どのようなことを決めていかなければならないかを事例を出しながら丁寧に教えてくださいました。そして その時のプロジェクトチームのそれぞれが 個々に立案し 検討を重ねて行ったのです。

 

そして 同時に「誰が旅館をやってくの?」となったわけです。

 

誰しもが 兄弟会社が運営していくことを視野に入れていたはずでした。でも 業務的なことは「もしかして、いや、やっぱりわたしが やらなきゃならないのかしら。」というようなことが頭をよぎることもありましたが 本気で考えていなくて その時は子供達もまだ小さく 自分のことだけで精一杯。どこか他人事のような気持ちもあったのです。ところが。

 

ある日のミーティングの後の会食中の時のことでした。

 

 

「綾子さん、宿を継ぎませんか。旅館の経営を綾子さんがやっていきませんか。」

 

旅館のことを相談させていただいていた 兄弟会社の顧問の先生が
突然わたしに そう言ったのです。本当に突然でした。

 

わたしは 最初何を言われているのかわかりませんでした。「えっ?」っていう感じです。

 

「継ぐって?経営って?」そんな感じです。

 

叔母の会社をそのままにして わたしに会社を継いで 経営と女将をやってみては。
という話でした。

 

祖父母や叔母が居住していた旅館ですから 高校生からアルバイトをしたり まるで実家に帰るかのように行き来していた場所ではありましたが その仕事がどういう仕事なのかを知っていたわたしにとって、 ひとり親で二人の息子の子育て真っ只中という環境で、会社を継ぐ、旅館を継ぐということが これから自分がどう生きるかを決めることになるんだ。と 人生が変る決断をしなければならないことは瞬時に理解できました。

 

そのことに理由があることもわかっていたわたしは 少し時間を置いて その場で 腹を括る思いで 了承しました。その時 なぜだか涙が止まらなかった。とにかく 複雑な心境であったことは確かでした。継ぐことがどういうことか。覚悟の涙だったのかもしれません。

 

そして その時に飯野さんがおっしゃったんです。

 

「綾子さんがこの旅館をやっていくなら
綾子さんがやりたいと思うことをしたほうがいいです。」

 

 

その一言で それまでの宿作りの提案が すべて白紙になりました。

 

その言葉から 現在に至る「時の宿すみれ」の宿作りが始まったんです。

 

飯野さんがいなかったら 今のすみれはなかった。

 

そのくらいすみれにとって わたしにとって 大切な存在の方でした。

 

今のわたしがあるのも 飯野さんのお陰だと思っています。

 

お客様と共に ここで笑い合えること。
お客様と共に ここで励まし合えること。
お客様と共に ここで感動し合えること。
お客様と共に ここで 楽しみ合えること。

 

全てのはじまりが飯野さんとの出逢いからでした。

 

いつもすみれのことを考えてくれていた飯野さんに感謝の気持ちでいっぱいです。

 

悲しい知らせに 随分落ち込むことになりましたが 飯野さんはわたしが悲しむことを願ってなんかいないと思います。毎日ここに訪れてくださるお客様に楽しんでもらえるように いつも通り明るいわたし、すみれを願ってくれているはず!

 

今日、ここに飯野さんとの思い出の話を記すことで わたしの気持ちの上で飯野さんへのサヨナラを言いたかった。皆さんにも 知っていただきたかったんです。

 

これまでの振り返りの話をいつか書いていこうと思っていましたが まさかこういうタイミングになるとは夢にも思いませんでした。

 

最後まで読んでくださってありがとうございます。
ご心配してくださった方にこころから 感謝しております!

 

 

これからも いつも通り よろしくお願いたします。

では、また 明日。

 

飯野賢治さんのご冥福を心よりお祈り申し上げます。
飯野さん、やすらかに。