「綾子さんがこの旅館をやっていくなら
綾子さんがやりたいと思うことをしたほうがいいですよ。」

 

大切なことは いつも同じ。大切なことをいつも心に。

 

そう 言って 11年前に旅館を継ぐ覚悟をしたわたしに そして その場にいたみんなにアドバイスをしてくれたのは 飯野賢治さんでした。

 

 

2月になると 3年前の2月20日に急逝した 飯野さんのことを思い出します。

ちょうど11年前に 飯野さんの その言葉から 現在に至る「時の宿すみれ」の宿作りが はじまりました。

大切なことは いつも同じ。大切なことをいつも心に。

当時 わたしは父が癌を患ったことから 東京から二人の息子と 米沢に戻ってきていました。父が亡くなってからの3年間は実家のレストランのフロントで受付や会計に関わる仕事をしていましたが 祖父母の後を継いで叔母が経営していた旅館の仕事を手伝うようになり 同時に旅館のこれからを 見つめ直すプロジェクトも兄弟やその会社のメンバーと共に進めていました。

プロジェクトでは 昭和55年からの創業にかかわった祖父母の想いを継いでこれまで通り旅館をやっていくことが決まったものの 誰がどのように旅館を立て直していくかは はじめから決まっていたわけではありませんでした。

旅館のことを相談させていただいていた 兄弟会社の顧問の先生から 「飯野賢治さん」を紹介していただいたのは そんな時でした。

紹介していただいて すぐに 宿作りのための「考え方」をみんなで教わりました。どのような順番で どのようなことを決めていかなければならないかを事例を出しながら丁寧に教えてくださいました。そして その時のプロジェクトチームのそれぞれが 個々に立案し 検討を重ねて行ったのです。

 

そして 同時に「誰が旅館をやってくの?」となったわけです。

大切なことは いつも同じ。大切なことをいつも心に。

誰しもが 兄弟会社が運営していくことを視野に入れていたはずでした。でも 業務的なことは「もしかして、いや、やっぱりわたしが やらなきゃならないのかしら。」というようなことが頭をよぎることもありましたが 本気で考えていなくて その時は子供達もまだ小さく 自分のことだけで精一杯。どこか他人事のような気持ちもあったのです。ところが。

 

ある日のミーティングの後の会食中の時に

「綾子さん、宿を継ぎませんか。旅館の経営を綾子さんがやっていきませんか。」

 

旅館のことを相談させていただいていた 兄弟会社の顧問の先生が
突然わたしに そう言ったのです。本当に突然でした。

 

わたしは 最初何を言われているのかわかりませんでした。「えっ?」っていう感じです。

 

「継ぐって?経営って?」そんな感じです。

 

叔母の会社をそのままにして わたしに会社を継いで 経営と女将をやってみては。
という話でした。

 

祖父母や叔母が居住していた旅館ですから 高校生からアルバイトをしたり まるで実家に帰るかのように行き来していた場所ではありましたが その仕事がどういう仕事なのかを知っていたわたしにとって、 ひとり親で二人の息子の子育て真っ只中という環境で、会社を継ぐ、旅館を継ぐということが これから自分がどう生きるかを決めることになるんだ。と 人生が変る決断をしなければならないことは瞬時に理解できました。

 

そのことに理由があることもわかっていたわたしは 少し時間を置いて その場で 腹を括る思いで 了承しました。その時 なぜだか涙が止まらなかった。とにかく 複雑な心境であったことは確かでした。継ぐことがどういうことか。覚悟の涙だったのかもしれません。

 

そして その時に飯野さんがおっしゃったんです。

 

「綾子さんがこの旅館をやっていくなら
綾子さんがやりたいと思うことをしたほうがいいです。」

大切なことは いつも同じ。大切なことをいつも心に。

その一言で それまでたくさんの時間を費やした宿作りの提案が すべて白紙になりました。

 

 

「綾子さん、綾子さんは この旅館で どんなお客さんに どうなってもらいたい?」

 

その一言をはじまりとして 「時の宿すみれ」の核が できていきました。

 

飯野さんがいなかったら 今のすみれはなかった。

 

そのくらいすみれにとって わたしにとって 大切な存在の方が 飯野さんです。

 

だから 今のわたしがあるのも 飯野さんのお陰だと思っています。

 

お客様と共に ここで笑い合えること。
お客様と共に ここで励まし合えること。
お客様と共に ここで感動し合えること。
お客様と共に ここで 楽しみ合えること。

 

全てのはじまりが飯野さんとの出逢いからでした。

 

いつもすみれのことを考えてくれていた飯野さんに感謝の気持ちでいっぱいです。

 

3年前に 飯野さんが急逝した知らせを受けた時 悲しすぎて 随分落ち込むことになりましたが 飯野さんはわたしが悲しむことを願ってなんかいないと思います。毎日ここに訪れてくださるお客様に楽しんでもらえるように いつも通り明るいわたし、すみれを願ってくれているはず!と思えました。

 

2月になると 飯野さんを思い出します。

 

そして 飯野さんを思い出すと いつも すみれの大切な基本を思い出します。
お宿にこめた わたしの願いを 思い出します。
生きがいを感じられる お仕事ができることに ほんとうに感謝しています。

 

 

飯野さん、見てる?
飯野さん、ありがとうーーー!

 

 

わたしは 元気に やっているよ。^^