八つの米沢の温泉めぐりで 米沢牛が当たるってご存知でしたか!!!

 

米沢八湯のスタンプラリーのことなんです。

 

 

先日 西吾妻スカイバレーの麓にある 白布温泉に行ってきました♪
この白布温泉も米沢八湯の一つなんですよ~。

 

 

こんばんは。

 

おふたり様の特別な時間のためのお手伝いをしている
時の宿すみれの女将 黄木綾子のブログです。

 

 

白布温泉にはいくつかのお宿がありますが この日わたしが伺ったのは「東屋旅館」さん。
白布温泉のその昔は 火縄銃の製造所にもなっていたのですが、東屋さんには 当時の様子を伺わせる資料がロビーにありとっても興味深かったです☆

 

一番上の写真は 直江兼続が白布で密かに火縄銃を作らせていたという火縄銃。4年前に白布森の館体験センターで、火縄銃資料展をやっていた時に実際に展示していた銃の一部なのだそうですが、このような写真が説明付でロビーに。白布温泉地内で作らせた銃の型(筒先が短い物)や関ヶ原戦後全国に普及したとされる筒先の長い銃(堺・国友)が分かりやすいようになっていました。火縄銃資料展では、洋物の火縄銃を含め19挺展示があったのだそうです。また、展示していた銃は、米沢の方や関東の方にお借りしていたものと 東屋旅館の若旦那から聞きました。

弘化3年という今から170年近く前の 当時の白布温泉の全景がわかる絵を拝見して 当時は「高湯温泉」と呼ばれていたことを知りました。そう言えば わたしの祖父母が「白布高湯」と言っていたのを思い出したわ~。

また 上杉鷹山公様が何度も訪れていることが記録に残っているそうですが、幕末には 米沢・会津両藩の武士が個人的に湯治をしたり、鳥羽・伏見の戦いの米沢城下への第一報は白布温泉より伝わったとの話まで残っているのだそうです。会津藩士が会津若松城下からの早飛脚を受け、宿にいた米沢藩士に知らせたため、急遽米沢城下に帰宅し知らせたとか。そして その後の会津・米沢が敵対状態になった会津戦争時には、今の東屋さんの宿を基地として米沢藩士20名程が、藩境の馬場谷地附近の間道の警備に努めていたのだそうです。

あ、新島八重さんの夫、新島襄さんも東屋さんに泊まっているそうなんですよ!

歴史を振り返り 当時の様子に思いを馳せて 今もこんこんと湧きつづける温泉を守ってきた湯守りの想いを感じながら その時と変わらぬ湯に浸かるのもまた感慨深いものです。

 

米沢八湯のスタンプラリーは 米沢牛が抽選で当たるお楽しみのある企画だけれど 温泉がずっと見てきた歴史を感じることのできる企画でもあるのでした!

 

今年は去年よりも参加者が多い情報も入っておりとっても嬉しいです♪

 

すみれにも 応募カードをわざわざ郵送してくださったり チェックアウト後に湯めぐりに出かけられまた戻って届けてくださったりとカードが集まっています!

 

スタンプラリーは12月末までやっています。
米沢八湯スタンプラリーの詳細はこちらから

 

ぜひ あなたもスタンプラリーしながら 米沢の温泉の歴史にも触れてみてください♪

 

今日も ここへ来てくださった あなたにありがとう。
初めての方 最後まで読んでいただき嬉しいです♪

 

では、また 明日ね。