昭和47年(1972年)5月15日の正午近く、湯の沢温泉が焼失しました。
現在の場所に時の宿すみれの前身の旅館ができる17年前のことでした。

こんばんは。

時の宿すみれの女将 黄木綾子です。

 

先日、山形県の環境エネルギー部みどり自然課さん、置賜保健所さん、温泉協会さんの7名と共に 約1㎞裏山へ上がったところにある湯の沢温泉の源泉まで源泉の現況の確認に行って参りました。

温泉旅館に義務付けされている温泉分析表の掲示や源泉の湧出量や温度などを確認していただいたんです。

温泉旅館では 温泉法により源泉の湧出量や温度などは定期的に記録して 変化がないか確認をしておく必要があり また機関にその状況を報告する義務もあるのですが 今回は実際に現場の状況確認をしていただくことになっていたんです。

お宿の裏山は「関根金山」とも言われている鉱山で地盤はとても硬いところ。
湯の沢温泉はそんな硬い岩の間から自然湧出している温泉です。

 

当日は歩いて山を上るつもりだったのですが、そう思っていたのはわたしだけのことで 県の方が車で行けるところまで車で行きましょうとおっしゃったことから 往復で500mも歩かずにすみました。でも 車で行くには道幅が狭く 途中からは両脇の草木がフロントガラスにあたり アドベンチャーなドキドキ気分を味わうことができました(汗)しかしながら皆さんは慣れた様子です。
意外と女将は小心者ということを思い知りました(笑)

現地でタンクのカギを開けて蓋をあけ お湯の温度を計りました。湯温は27.5℃ 。

お湯が出ているパイプに、お湯をくみ上げるためのパイプをさして待つこと8分ほど。

地上のパイプの口から出てくる温泉の出方が落ち着いたところを見計らって20Lのバケツで満タンになった時間を3回計りました。平均で湧出量は毎分85L ほどとなりました。

その調査の間、湧き出る温泉のことを考えながら よく古くからこうして温泉が出続けているものだなぁと とってもありがたい心境になり 皆さんとそんな話をしていました。

源泉近くを流れる沢

湯の沢温泉は平安末期(文治5年頃)深傷を負った猿が湯に浸り癒しているのを、義経の家臣が見つけたのが始まりとされていて、江戸元禄時代の温泉効能鑑の全国前頭にも載っていました。
古い調査資料の「山上村の郷土調査」という本には、湯の沢温泉を少し登ったところに郷士(武士と農家の中間層)が住んでいた記録があったそうで、古くから開けていたことをうかがい知ることができます。

江戸時代の諸国温泉功能鑑に湯の沢温泉が東の前頭として掲載されていた。3段目左から4番目

源泉のある場所に以前の旅館があったことから その場所に いまだにお風呂だったと思われるタイルの湯船の形跡が残っています。当時から 加温していて 風呂場の裏に薪がうずたかく積まれていたことを覚えている人もいます。また電気は自家発電で裏の滝に発電のための水車が回っていたそうです。

 

今の温泉は昭和54年に前身の旅館「すみれ荘」建設の計画の際に その時の所有者さんより祖父が譲り受けたのですが 今でも昔と変わらずやわらかなお湯が 胃腸病、湿疹、神経痛、リウマチなどに効くとお客様にもお喜びいただけていることは本当に奇跡だとわたしは思っています。

 

また、こうして温泉のことを深く知れば知るほど もっと広くたくさんの方に温泉をお楽しみいただけることを視野に入れた業態を目指すことも わたしの役割なのかもしれないな~と思ったりしています。

 

米沢八湯の事業として「米沢八湯まつり」という温泉を開放する「お客様感謝DAY」のようなものをやってみようという案がでています。フリーでどこでも温泉旅館の湯めぐりができるというイベントです。案ということで まだ決まったわけではないですが 催しの内容、ルールが具現化され 会員の旅館さん達の賛同があれば ぜひ実現させたいものだな~って思います。

温泉の恵みを改めて体感していただき 日頃のストレスを解消してくれる温泉を楽しむ休息のひとときを米沢を訪れてくださる方、そして地元の方々にもぜひ過ごしていただきたいです。

 

温泉の現状調査は 無事に終了しました。

これからも ここ湯の沢の温泉を わたしはしっかり守って、繋いでいきますね♪

温泉に浸かっていただくことで人々に幸福な気持ちになっていただくことのできる宿屋の仕事を誇りに思います☆

 

今日も ここへ来てくださったあなたに ありがとう。

初めての方 最後まで読んでいただけ 嬉しいです♪

 

では、また ね。